埼玉県の市営プールで、7歳の女の子が吸水口に吸い込まれて
亡くなりました。
本当に、本当に痛ましい。原因は、まさに人災。

吸水口を保護する柵のボルトが数年間に渡って
取れていたにも関わらず、修理するどころか
針金で留めるという応急処置しかしていなかった。
こんな事、あり得ない。あってはいけない事が起こってしまった。

この不幸な事故の後、各地のプールで確認作業が行われた。
夏休みのこの時期、子供たちがプールを利用する機会が増える。
その前に、なぜしっかりと修理をしなかったのか。

様々な要因が浮かび上がってくる。
市から委託されていた管理会社は、
(どうやら禁止されていたらしいのに)さらに下請けに任せていた。
プールの監視員は泳げない者の方が多いらしい。
イザという時のマニュアルもなかった。

市営のプールの施設利用料は確かに安い。
だからと言って安全性を無視して良い事にはならない。
ごくごく当たり前のこと。

こんな不幸な事故が起こって、許せない事件が起こって、ようやく対策が生まれる。
それは仕方のないことだけど、
こうなる前にどうして色々な状況を想定しておかないのか。

宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』という、
タイムトリップを題材にしたこ小説の中に、こんな文章があります。
タイムトリップ出来る能力を持った男性が、
巻き込んでしまった主人公の少年に語る台詞。

日航機の事故も、私が起こしたことだ。
あの事故が起こらなければ、人間は飛行機の安全性を高めようとしなかった。
時間を戻してあの事故を防いでも、別の飛行機が事故に遭う。
それは、今後事故を起こさないために、
あのような大きな飛行機事故が必要だったからだ。

そんな内容でした。

恐らく、日本各地にあるプールで、安全を過信して
似たようなことをしているプールは、少なくないように思います。

それらのプールがしっかりと安全を認識して、
利用者が安心してプールを利用できるようになるために、
この女の子の命が犠牲になった。
『蒲生邸事件』の上記の文章で言えば、日航機事故のように。
そう思えてなりません。

最近思うのが、人間の能力で大切なものに「想像力」がありますが、
それが欠けている、ということ。

あのまま吸水口の柵を針金で固定していたままなら、事故が起こるのではないか。
そう考える、想像することさえ出来たら、こんな事故は起こらない。

利用者の中に自分の子供が居たら。犠牲になるのは自分の子供かもしれない。
そう考えることが出来たら、もっと早くにボルトを用意して修理できたのでは。

7歳の女の子には、何の落ち度もありません。
ただ、プールに遊びに来ていただけ。
目の前で、吸水口に自分の娘が吸い込まれるのを見たお母さん。

本当に、本当に痛ましく、許せない事件です。

(ISBN:4167549034 文庫 宮部 みゆき 文藝春秋 2000/10 ¥900)

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